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ON AIR 第004回

破綻した結婚が生んだ名曲 チャイコフスキー「交響曲第4番」

人生でいちばん苦しかった年に、いちばん熱い曲が生まれたんです。

音楽・クラシック 2026.10.21 約7分

夜の兄貴ココア:

こんばんは。夜の兄貴ココアです。

今夜は、いつもと少し趣向を変えます。 BGMとして流す曲そのものが、今夜の主役。チャイコフスキーの「交響曲第4番」です。

じつはこの曲、ドイツの名門オーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が、2026/27年の新しいシーズンの開幕公演で取り上げた1曲でもあります。首席指揮者キリル・ペトレンコが、エルガーの「エニグマ変奏曲」と組み合わせて演奏しました。

世界最高峰のオーケストラが、シーズンの始まりに選んだこの曲。 でも、その誕生の裏には、ひとりの作曲家の、とても苦しい1年がありました。

1877年、チャイコフスキーに起きたこと

ピョートル・チャイコフスキー、37歳。 「白鳥の湖」をすでに書き上げ、モスクワ音楽院で教えながら、作曲家として名前が知られはじめていたころです。

この年、彼の人生に、ふたりの女性が深くかかわってきます。

ひとりは、ナジェジダ・フォン・メック夫人。 鉄道事業で財を成した家の未亡人で、チャイコフスキーの音楽に心を奪われた熱心なファンでした。彼女は手紙を送り、やがて毎年まとまったお金を援助するようになります。

ただし、ふたりには不思議な約束がありました。 決して、直接は会わないこと。 夫人の希望で、ふたりの関係は、その後10年以上にわたって、手紙のやりとりだけで続いていきます。

そしてもうひとりが、アントニーナ・ミリューコワ。 かつて音楽院で学んでいた女性で、チャイコフスキーに熱烈な恋文を送ってきた人でした。

ろうそくの灯りに照らされた、古い手紙の束

3か月足らずで終わった結婚

1877年の夏、チャイコフスキーはアントニーナと結婚します。 ところが、この結婚は、3か月もたたないうちに破綻してしまいました。

なぜ、そんなことになったのか。 多くの研究者は、チャイコフスキーが同性に惹かれる人だったと考えています。当時のロシアで、それを公にすることはできませんでした。世間の目や、家族を安心させたいという気持ちもあって、彼は愛のない結婚に踏み切ってしまったのではないか、と言われています。

結婚生活は、彼を追いつめました。 友人の回想によれば、冷たいモスクワ川に入って、肺炎になって死のうとしたことまであったそうです。そしてその年の秋、彼は逃げるようにモスクワを離れ、サンクトペテルブルクへ、さらにヨーロッパへと旅立ちました。

その間、彼を支えつづけたのが、会ったこともないフォン・メック夫人からの手紙と援助でした。

夜の兄貴ココア:

いちばん近くにいるはずの人とは心が通わず、一度も会ったことのない人とは、深く心が通っていた。人と人との距離って、本当に不思議なものですね。

交響曲第4番は、この嵐の中で書かれた

交響曲第4番は、ちょうどこの時期、1877年の春から翌年の初めにかけて書かれました。 結婚、破綻、そしてモスクワからの逃避行。人生でいちばん激しく揺れた時期と、作曲の時期が、ぴったり重なっているんです。

完成した楽譜には、こんな献辞が書かれていました。

「わが最良の友へ」

名前は書かれていません。でも、それがフォン・メック夫人のことだというのは、ふたりの間ではわかりきったことでした。 初演は1878年、モスクワ。指揮をしたのは、音楽院の院長ニコライ・ルビンシテインです。そのときチャイコフスキー本人は、療養のためにまだ国外にいて、初演には立ち会っていません。

今夜の聴きどころ 4つの楽章を、手紙とともに

チャイコフスキーは、この曲について、フォン・メック夫人への手紙の中で、珍しく自分の言葉で説明しています。 その言葉を手がかりに、4つの楽章を順番に聴いていきましょう。

第1楽章 運命のファンファーレ

曲は、ホルンとファゴットの、重く鋭いファンファーレで始まります。

チャイコフスキーは手紙の中で、これを**「運命」**だと書きました。 幸せに向かおうとする気持ちを、いつも邪魔してくる力。打ち勝つことはできず、ただ受け入れるしかないもの。そしてこのファンファーレこそが、交響曲全体の「種」なのだ、と。

20分近くある長い楽章ですが、まずは冒頭の数十秒だけでも聴いてみてください。あの数小節に、彼の1877年が詰まっています。

第2楽章 夜にひとり、思い出にふける

オーボエが、さみしげな旋律をひとりで歌いはじめます。

チャイコフスキーはこの楽章を、仕事に疲れた夜、ひとりで本を読もうとしても手から落ちてしまい、昔の思い出が次々とよみがえってくる、そんな気分だと説明しています。

まさに、深夜に聴くための楽章です。今夜いちばん、ココアに合う時間かもしれません。

夜の部屋の椅子の上に置かれた、閉じた本と消えかけのランプ

第3楽章 弦をはじくだけの、不思議なスケルツォ

ここで雰囲気ががらりと変わります。 弦楽器が、弓を使わず、指で弦をはじく「ピッツィカート」だけで、軽やかに走り回るんです。

チャイコフスキーいわく、これは少しお酒が入ったときに、頭の中に浮かんでは消えていく、とりとめのないイメージのようなもの。 重い2つの楽章のあとに来る、ふっと肩の力が抜ける時間です。

第4楽章 お祭りの中の、ひとりぼっち

最後の楽章は、オーケストラ全体が爆発するような、にぎやかな音で始まります。 途中には、ロシアの有名な民謡「野に立つ白樺」のメロディーも登場します。

チャイコフスキーは、この楽章をこう説明しています。 自分の中に喜びが見つからないなら、人々の中へ出ていきなさい。人々が祭りを楽しむ姿を見なさい、と。

でも、お祭りの真っ最中に、あの第1楽章の「運命」のファンファーレが、もう一度鳴り響きます。 にぎわいの中で、ふと自分の孤独を思い出してしまう瞬間です。

それでも、曲は最後、再びお祭りの喜びの中へ戻り、力強く終わります。 人の喜びを、自分の喜びとして感じることはできる。生きていくことは、まだできる。そんな結論のように、わたしには聞こえます。

雪の夜の広場に灯る、お祭りのあたたかい明かり

苦しみは、作品に変わることがある

その後、チャイコフスキーとアントニーナは、正式に離婚することのないまま、別々の人生を歩みました。 フォン・メック夫人との文通は、13年ほど続いたのち、1890年に夫人の側から突然終わりを告げられます。手紙では経済的な事情が理由とされましたが、本当のところは、いまもはっきりとはわかっていません。

チャイコフスキーの1877年は、どう見ても幸せな年ではありませんでした。 でも、その年に生まれた交響曲は、150年近くたったいまも、世界中のオーケストラで演奏され、ベルリン・フィルのシーズンの幕開けを飾っています。

夜の兄貴ココア:

苦しい時期の自分を、なかったことにしなくてもいいのかもしれません。 その時間があったからこそ生まれるものも、きっとあるんですよね。もちろん、無理に何かを生み出さなくたっていいんです。生きのびた、というだけで、もう十分すごいことですから。

今夜のまとめ

  • 交響曲第4番は、3か月足らずで破綻した結婚と、一度も会わない恩人フォン・メック夫人との文通の時期に書かれた
  • 冒頭のファンファーレは「運命」。曲全体の種であり、第4楽章のお祭りの最中にもよみがえる
  • はじめて聴くなら、第1楽章の冒頭と、深夜にぴったりな第2楽章のオーボエから
夜の兄貴ココア:

今夜は少し長いお話になりました。最後まで聴いてくださって、ありがとうございます。

もし時間があったら、第2楽章だけでも流しながら眠ってみてください。 オーボエのさみしい歌が、不思議と、やさしく聞こえるはずです。